喜多川歌麿の浮世絵(複製版画の通販にリンク)



美人画の天才、歌まくらという春画も有名で大英博物館にも所蔵されている。女性の上半身のみでバックは1色の無地という美人大首絵というスタイルは寛政の改革時代に歌麿が確立したもの。バックが描かれていないことから華美という指摘から逃れ、女性の細かなしぐさや表情がメインテーマとなった。一見、同じような顔だが微妙な目つき、表情から女性の気持ちがイメージできるとところが歌麿の真骨頂。自信家で絵師としてのプライドも高かった。
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喜多川歌麿の生涯

1755〜1758 頃の生まれ、出生、出身は不詳
1770 絵入俳書「ちよのはる」の挿絵、狩野派の絵師ながら妖怪画、俳諧にも手を出していた師、鳥山石燕からもらった石要という名前で描く
1775 富本浄瑠璃正本「四十八手恋所訳」の下巻表表紙絵を描く
1777 年代が確認できる最初の一枚錦絵「初代芳沢いろはのすしや娘おさと」発表
1781 絵入俳書「百福寿」で初めて「歌麿」と署名
1783 吉原灯篭番付「青楼夜のにしき」で喜多川歌麿の名前を使う
1788 彩色摺絵入狂歌本「画本虫撰」、彩色摺枕絵本「歌まくら」
1790 この年、浅草専光寺に葬られた理清信女が歌麿の妻という説がある
1791〜1793 この頃、歌麿の絵本、挿絵本などが刊行されておらず栃木に滞在していたのではないかといわれる
1793 「狂歌歌入遊女集」、「六玉川」、「婦人相学十対躰」、「婦女人相十品」などの大判錦絵により人気絵師となる
1796 「高名美人六歌撰」などモデルを特定できる絵を禁じた町触れに対抗した判じ絵を描く
1799 彩色摺枕絵本「ねがひの糸ぐち」
1804 前年に描いた「絵本太閤記」で豊臣を描いたことがとがめられ手鎖り50日の刑に処せられる
1806 死去、墓所は浅草専光寺(現在は世田谷区北烏山に移転)
 私の感想
扇子に描かれた桜、着物の柄も桜で桜の下で踊っていることを想像させる。
おひさというのは、せんべい屋の娘で美女で有名だった。体と反対方向にかをを向けているのが印象的。
吉原で働く女性を描いたものだか芸妓は基本は体は許さない。手がお客の話にあわせているしぐさのようにも見えるのが歌麿の真骨頂。
寛政三美人の一人、画面左上の方形の中は「判じ絵」になっていて、「菜、把、矢」「沖」「田」と読む。
物憂げな表情が印象に残る。過去の情事を思う年増の女と歌麿抵抗の美人画という本に書いてあったがそこまでどうしていえるのだろう。
やはり何か考えている様子からひそかな恋をイメージする。このようなところを描くのが歌麿。
富本節の名取「富本豊雛」という美人を描いたもの。
有名な一枚、ガラス玩具を吹く娘が愛らしい。
寛政の三美人、富本豊ひな、難波屋おきた、高島屋おひさ。ピンクの背景に女性三人が並んだ華やかな作品。
髪を束ねるしぐさがリアルで色っぽい。
遊郭の高名な遊女が手紙を書いている姿。歌麿の女心を描くセンスが出ている。
辰巳、深川のあたりの芸者さん。うなじに手をやり髪を整えるしぐさとするのが歌麿らしい。
好みの男が通りかかったのかふと振り浮いた目の表情がなんとも色っぽいと歌麿抵抗の美人画に説明されていた。


参考図書 
 NHKのボストン美術館にある歌麿の特集番組の担当デレクターが書いた本。膨大な資料から歌麿の人生の盛衰を描いている。著者の歌麿に対しての思い入れが強く、著者の歌麿の作品ごとの解釈、良し悪しもはっきり書いていて面白い。良い本だが、現在は新品は売り切れのようだ。中古で買うか、図書館で読んでいただきたい。
 歌麿といえば、春画の評価も高い。この本は美人画と春画の業績を中心に歌麿の人生をまとめた本。リチャードレインという人が春画の良し悪しについても評価していて、割と初期の作品を高く評価している。また、当初は芸術性が高くても不人気だった歌まくらが、歌麿の評判が上がる中で再度刷られるようになった経緯や、多くの絵師が歌麿のまねをしていたこと、それに対してオリジナリティに自負を持っていた歌麿は苦々しく思っていた等が面白かった。
 歌麿の生涯を振り返る32の作品について、見開きの2ページでカラーの1ページに絵、1ページに簡単な解説を載せているので大変鑑賞しやすい。サイズは新書版をひとまわり大きくしたサイズ。美人画だけでなく、肉筆画や、春画「乳吸い」「後家と男」の二作品までもちゃんと掲載している。

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